京都府京都市北区上賀茂朝露ヶ原町15番地において、国有林野治山工事請負を目的に今井三郎を代表とし、今井組を興す。
今井清司を代表取締役とし、株式会社 今井組を設立。
以後、近畿一円、広島・島根・石川県等にて治山工事を施工する。
第2回治山工事コンクールに於いて林野庁長官賞を受賞する。
当時期より営業範囲を拡大し、地方自治体などに業績を伸ばす。
下水道工事に着手し、以後、西賀茂・上賀茂地区の大部分を施工する。
新社屋完成。
(財)日本品質保証貴機構によりISO9001:2000を取得する。
第26回治山・林道工事コンクールに於いて林野庁長官賞(2度目)を受賞する。
第41回治山・林道工事コンクールに於いて農林水産大臣賞を受賞する。
創業者 今井三郎から引継いだ今井清司は、男五人兄弟を中心に国有林野治山工事を着実に受注・完成させ、誠実な施工により質の高い工事成果品を具現する企業としての高い評価を受けてきた。
そんななか工事コンクールが開催され、昭和44年第2回治山工事コンクールに於いて農林水産省林野庁長官賞を受賞する。
以降大阪営林局長賞も度々受賞し、平成19年に2度目の林野庁長官賞を受賞する。平成19年、会長に就任するまでの間も近畿中国森林管理局長賞を幾度となく受賞してきた。
普段から「顧客の立場に立ち、自らが研究し、信用と高度な品質管理に努め、豊かな企業を目指す」との口癖を経営理念とした人物である。
一度は大臣表彰を手にしたいとの思いを持っていた。しかし、それは叶わず令和2年3月に逝った。
同月に永年施工してきた地区に貴船山山腹工事が発注された。
「これは、神が与えた好機である。」ととらえ受注へ全力を尽くした結果、契約と相成った。
社員一同、早期に完成させ、高品質の工事成果品を作り上げることで、会長の想いへ寄り添う、一番の供養であると精進した。
台風被害木を1本ずつヘリコプターで吊上げ、また切断した被害木をモノレールに載せて地区外へ搬出する危険度・難易度の高い作業である。
荒れた崩壊法面を安定させる工事と緑化工事をやり遂げた。工期を1カ月余していた。
この全職員・協力会社の奮闘努力が、令和4年第41回治山・林道工事コンクールにおいて農林水産省大臣賞受賞へと実を結んだ。
折りしもコロナ禍の真っ只中、東京で農林水産大臣から直接表彰を受けることが叶わず、京都の地で同時配信された映像を観つつ、近畿中国森林管理局長から表彰状を授与された。